庭に放った数十羽の鶏を描いた町絵師「伊藤若冲」

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今年、生誕三百周年となる「伊藤若冲」展に行きました。

伊藤若冲は江戸時代に京都で活躍した町絵師。京都の錦小路の青物問屋の長男として生まれた若冲は、20代前半で家業を継ぎます。

せっかく裕福な商家で生まれたけれどもまったくお金には興味がなく、四十歳で弟に店を譲り渡し、自分は絵の世界にドップリはまってしまいます。

最初は狩野派や中国の絵を学びますが、そのうち若冲オリジナルの絵の世界を構築していきます。

お金に物を言わせて自分の家の庭に鶏を数十羽も放ち、朝から晩まで観察を続けて緻密かつ大胆な若冲の絵を完成させていきます。いろいろな絵を描いた若冲ですが、やはり有名なのは鶏の絵ではないでしょうか。

京都市左京区にある「細見美術館」所蔵の作品を堪能してきました。

伊藤若冲といえば、相国寺に寄進された「動植綵絵」が有名ですが、こちらは現在は宮内庁が所有しています。明治時代に1万円で明治天皇に献納されたとのことです。お寺を維持するために。

細見美術館が所蔵する作品は「雪中雄鶏図」や「糸瓜群虫図」などのほかは墨画がメインになります。こちらは濃淡で表現されたモノクロの世界ですが、水墨画とはまた違った若冲オリジナルの画法で描かれています。

時間をかけてたっぷりと絵を鑑賞したあとは、若冲の菩提寺である「宝蔵寺」を訪れました。

「伊藤若冲先祖の墓」と書かれていますね。

「若冲が建立した父母の墓石、末弟・宗寂の墓碑が残り、次弟・白歳の墓碑も建てられている」

宝蔵寺では、毎年2月8日に次弟の白歳による「羅漢図」を一般公開しているそうです。「羅漢図」は今回の細見美術館の展示で鑑賞しました。

宝蔵寺のあとは、新京極にある「錦天満宮」へ。

韓国や中国からの観光客がいっぱいいました。

錦天満宮をおとずれたなら、名水「錦の水」をいただきましょう。地下、三十数メートルからわき出る水で、真夏でも17~18度の水温を保っているとのこと。水を汲める蛇口もあるので、ペットボトルでいただくのもありです。

さて、最後は「錦市場」へと足を踏み入れます。平安時代から続き「京の台所」として親しまれています。

若冲が生まれた青物問屋もこちらの市場にありました。生誕三百周年を記念して、市場の屋根から垂れ幕がかけられています。

かつて、商売敵であった五条問屋町の策略で錦市場が営業停止に追い込まれそうになった際には、若冲が奔走して窮地を救ったという。絵を描いていただけではなかったようですね。

錦市場を奥まで進んでいくと一番端に「伊藤若冲生家跡」とのパネルがありました。ここが「生家跡」なのかな?まったく関係のないお店が建っているようですが・・・。

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